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ドストエフスキー「鰐」1865 米川正夫訳
鰐に丸呑みされた役人を巡るグラン・ギニョルな、否、鰐の体内はゴム臭くも広々として快適だぞとのたもう抱腹絶倒の爆笑小説。役人は新興宗教の教祖じみたビジョンを語れば、香具師は丸呑みした鰐で荒稼ぎを目論み、妻は早くも未亡人を謳歌し、経済原理を見出だすものもいれば、新聞の当初では鰐に同情が寄せられる。役人の友人の語り手のみが穏当な凡庸さに終始し、訳者解説いうところの「純文学的な悪戯」を堪能できる。
#云日一短編
皆川博子「アルカディアの夏」1973
実は原典としての作品を未読のままにしていた。
少女の母は家庭教師との情事にふけり、娘は静かに精神のアルカディアへと逃走する。少女は閉めきった部屋で二十日鼠を増やしコノハズクを育てる。その秘密もやがては大人の手で開かれるが、それを振り返りもせず少女は前へ進む。書きぶりは違えど、そのラストの向かう先において「黄色い壁紙」と並べたくもなる。
#云日一短編
“「あたしが何を書きたいかわかる? すべて引用でできた本。というか、不正確に書き写された引用でできた本」
「やり損ないの複製?」”
文芸文庫のドストエフスキー・ユーモア小説集の表題だった作品だよね、長いこと読みたく思っていましたが、うむ、面白い!
A・M・バレイジ「スミー」宮尾洋史訳
英国大邸宅のかくれんぼ怪奇小説。かくれんぼの最中にひっそり誰か増えているという怪異は半ばで明かしていて、ぞっとする感じでもないのだが、古典的正調な語りが楽しい。実際にあった遊びか知らないが、かくれんぼの少しひねったルール(他のプレイヤーに行き逢ったら「スミー(鬼)?」と尋ねる。スミーだった場合は無言で佇み待機、次第に発見者が数珠繋ぎに増えていく。最後に見つけた者が負け、というもの)が面白く、むしろ遊戯小説としての魅力が強い。
#云日一短編
デュラス「大蛇(ボア)」山田稔訳
あるフランス植民地にて、毎日曜幼いわたしは大蛇が若鶏を丸呑みする姿を見物しに行く。その後にいつも、老いた寮母の一度も使われなかった裸を見せられる。
インモラルで退廃的で、どこか腐臭ただよう作品。鶏を消化する長きの嚥下のなかに未来をみて、寮母のおぞましい趣味に後悔の嚥下を思い、やがては売春宿が処女喪失の神殿として夢想される。メランコリックな文体に眩暈さえおぼえるが、これを語るわたしの時制を思うことで、また嚥下された世界の残酷さに宙吊りされる。
#云日一短編
ふと気づくとぼけーと過ごして、特に呟くという習慣がないのだが、あー読み返したいけど手放してもうたーの本が急に手元に集まりだして嬉しい。全部創元ですね、剣薔薇は未読だけど
見つからんし、復刊されたら買い直すかーと思った矢先に見つかった。木村晴美さんによる装丁も好みなだけに嬉しい
ジェラルド・カーシュ「豚の島の女王」(西崎憲訳) 1949
見てきたようにホラをふくカーシュの代表作。無人島に流れ着いたフリークス4人の愛と憎しみの顛末。たぶんそういうことだったのだろう、~だったに違いないとの語りの膂力を前に、拝聴して肯うしかない。面白うて、やがて哀しい。
#云日一短編
リチャード・パワーズ「七番目の出来事」2005 柴田元幸訳
元カノ難病×エコクリティシズム。皮肉と韜晦にみちた科学的なアプローチ、迂遠な思弁性から愛を語る、渾身のパワーズ節を感じる一編。パワーズに文学と、世界への信をみたい。
“ヘイ、パワーズ。あんたに新しい話があるわよ。わかったわよ、新しくないわよ。ちょっとしたやり損ないの複製よ、ひとつのテーマの変種よ。”
#云日一短編
ねむる
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