+ new component
ワシントンポーシリーズの最新刊、デスチェアの殺人上下巻を読んだ。今作も面白く一気読み。ポーが心配になるほど疲労困憊し、読者も読んでいて大変な場面はあるが、なにせ展開が飽きない。次作が楽しみ。
昨日は朝から角煮を作り、昼は家族用に角煮を流用した炒飯と竹岡式ラーメンを作り、夜は長谷川あかりの酒蒸しハンバーグと春菊のサラダを作った。そのほぼ全てをリュウジのバズレシピのYouTubeを見ながら作ったので、リュウジさんには感謝したい。いつもお世話になっています。
息子とカレーを食べに行った。美味しい。
暴力や殺人への抵抗の低さが中世的。「非武装の無力な相手であっても、また僧侶であろうとも、「とりあえず、まず殴る」という暴力性は、鎌倉武士の行動パターン・性向を如実に示している。一遍が念仏僧とわかった後も、言い負かされると自ら二度も殴っているが、それでも最後には言外に勧進を許可しており、龍口・熱原法難における日蓮とその門・信徒に対する頼綱の暴虐ぶりに比せば、よほど寛大である。(中略)もっとも、信仰する念仏宗の僧であろうと、頼網は腹が立てば躊躇無く殴る、紛れもなき鎌倉武士の一人であった。」
NHK「クローズアップ現代」取材班
オウム真理教の子どもたち 知られざる30年 読了。宗教二世として声を上げることも出来ず、過去を隠して傷つきながら生きるオウムの子供達。彼らがどのように生きてきたかを全く考えたこともなかったが、思えば私と同世代、本書のタイトルが気になって読み進めた。虐待ともいえる暮らしをしてきた子どもたち。警察の救出後、児童相談所の方々の90日間の苦労が迫真にせまる。実際の本こどもたちは、今も家族とともに過ごしながら過去に怯えたり、逆に過去を肯定することで自己を保ったり、皆傷つきながら今も生きている。社会や政治のケア対象とならなかった彼ら。今からでも手を差し伸べるべき。
室町幕府の体制は、幕府が全国規模まで拡大した結果、必然から来るものだったというわけか。
「本所一円之地住人の御家人化は、すなわち御家人の物理的な増加であり、理想は置い て、現実として増加した御家人をどのように統治するというのか。当時、(中略)すでに幕府の処理能力を超えようとしていた。解決の道は、地方支配機関への分権しかなかったと著者は考える。具体的には、広域地方支配機関の設置・権限強化(中略) と守護の権限強化である。軍管区制の導入と言ってもよい。つまりは室町幕府的体制(広域地方支配機関と守護を通じての間接統治)への移行である。著者は、時宗が実際にこのような方向を目指していたと考える」
「本書を書き終えた今、「平頼綱とは、どんなヤツか?一言で答えよ」と言われたら、「フツーの鎌倉武士」と答えるつもりである。単純で深くモノを考えず、モメ事になると、すぐさま暴力に走るが、主人には忠実。まさに平均的な鎌倉武士である。(中略)
しめくくりに著者のアタマにある妄想を記して筆を擱こう。
平禅門の乱の朝、敵襲と聞いた時、頼綱は真っ先に真時を心配したのではなかろうか。「大守も襲われている」、と。そして、自分の屋敷を攻めているのが、他ならぬ貞時の差し向けた兵であると知った頼綱は、
「大守、なんでです?」と問いかけた後、「仰せのごとく」
と、自刃したのではないか。」
義時の牧氏の乱、時頼の宮騒動のように、時宗の二月騒動は、彼を自立した絶対的存在に導いた。まさかの急逝により、抜本的改革は頓挫した。弘安徳政で目指した本所一円之地住人の御家人化は、頼綱の主導で鮮やかな手並みで安達一族を討った霜月騒動で無に期した。そして、頼綱は貞時の手で討たれる。頼朝にとっての上総広常のように恐るべき存在になってきたため。そしてそこから半世紀後に鎌倉幕府は滅ぶ。得宗政権の絶頂期を導いた功績は間違いない。朝廷対策が場当たり的で、両統迭立による混乱を生んでしまい、ビジョンなき政権であったとしても。
「端から見れば、当時の頼網は得宗家執事・寄合衆・乳母夫として得宗貞時と一体化しており、頼網糾弾は貞時糾弾に繋がりかねなかったはずである。(中略)現代日本では政争で死者が出ることはまずない。だが、鎌倉政界では、権力闘争に参加する者は殺害される可能性を覚悟せねばならない。公然と頼綱を糾弾せんとする者は、安達泰盛の最期に思いを馳せざるをえない。これは、貞時も同様である。(中略)家臣に過ぎないもかかわらず、貞時にとっても頼綱の仮借無き暴力性は異怖すべきものであった。」
外交使を初手で斬るとは。モンゴル帝国側も驚いたと思う。
「蒙古使一行は七月二十一日に大宰府を発って鎌倉に連行され、九月七日正使以下五名が龍口刑場で斬首された(「鎌倉年代記裏書』、『関東評定伝』、『帝王編年記」)。弘安二年(一ニ七九)六月二十六日に対馬に到着した蒙古使は鎌倉に送られるまでもなく、博多で斬首された(「『師守記』貞治六年(一三六七)五月九日条、『鎌倉年代記裏書』、「関東評定伝」)。蒙古使を外交使節ではなく、敵として処刑したのである。」
T.ポーマス
T.ポーマス
T.ポーマス
T.ポーマス
T.ポーマス
T.ポーマス
T.ポーマス
T.ポーマス
T.ポーマス
T.ポーマス