戦後の大倭豊秋津洲に加害性の認識が欠落していたとすれば、冷戦戦略という壮大なる博奕を前に宗主国が敗戦国の旧来の支配層を手つかずにしたことと、hub and spoke体系という、多国間関係ではなく二国間の同盟関係を複数の国との間で結んでいく、車輪の輻を思わせる宗主国の特徴的な外交関係とが奇跡的に結合し、戦後の瑞穂国が他の同盟国や周辺の国々との関係をあまり意識しなくて良いという状況が生じたということに起因するのであって、これに関して宗主国の責任が皆無とは言えないという程度には僕も反骨の心根がありますが、それは侵略を受けた先の国々や人々にとっては何の意味もないことです。
「1946年の民主的な選挙で、共産党は三十パーセントの得票をスロヴァキア領〔territories〕で、四十パーセントをチェコ地域〔lands〕で勝ち取った──あらゆる国において、自由な環境下では最も高い得票数であった」
(S. Kotkin, “Uncivil Society”, Modern Library, 2009, p. 21)
著者がスロヴァキアとチェコとで違う単語を用いているのは、スロヴァキアが独立国として、チェコがドイツの一部として戦争に参加していたことを意識しているように思われる。
「お前も加担してたよな?」という暗黙の含意をひそかに「東欧的視点」と呼んでいる。俺は。
「自らをピョートル〔大帝〕の事業の継続者とみなすことへのスターリンの拒否は、意外でも注目すべきことでもない。結局のところ、遠い祖先や、流行遅れな前例との、時代錯誤的な同一視なしに過去への敬意を持つことは可能だからである」
(D. Brandenberger, K. M. F. Platt, “Introduction”. In “Epic Revisionism: Russian history & literature as Stalinist propaganda”, the University of Wisconsin Press, 2006, p. 4)