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台湾の友人のバイクに初めて乗せてもらった!
ちゃんとヘルメットしての二人乗り。
すげぇ!
こら、確かに自転車と違うわ。
車とも違うし。
風を浴びながら重心を器用に移動させて乗るバイク。
イイね!
台湾・高雄観光旅行🇹🇼。
無事に日本に到着。
後は家に帰るだけ。
地続きの話をして申し訳ないが、来年から新しい事を始める。
それが次に繋がるのか、新たな可能性をお披露目出来るかは自分次第だが、だからこそやる値打ちがある。
大いなる変化には大いなる痛みが伴う。
しかし変化を望むなら、覚悟しなければならない。痛みを恐れてはいけないのだ。
台湾・高雄に旅行中。
しかし、興行やプロモートを少しでも齧り、制作だけじゃなく製作の裏側も覗かせてもらえば、単純だと思われた話が単純に見えなくなるから不思議だし、だからこそ面白さ、一興を感じる。そこに面白さを見出してしまえば、一制作者、一脚本家の本分を越えてしまったとも思うわけで、あらゆる計算を頭に入れながら執筆していくわけになるが、そうして気付かされたのは自分はどちらかというと、そこまで計算を視野に入れて執筆するタイプじゃなかったこと。おかげで悩みも増えたが問題がクリアになったものもある。後は実践していくだけだ。今は頭領ではなく、一スタッフとして違う分野に飛び込もうと思っている。
批評家筋に評判はいいが、興行的にはうまくいってないらしい。というより、予算をかけ過ぎで回収しなければいけない金額がかなりあるのだとか。ディカプリオが出てニコルソンばりの怪演をしても、それが集客に繋がるとは限らないし、小品としてならまだしもPTAの作品で小品というのも難しいわけで、PTAの権威も"今"の時代、なかなか通用しないわけだ。プログラムピクチャーならまだしも。名誉ある賞を獲った映画作家といえど、商売として通用しなければ劇場は敬遠するだろう。イーストウッドの新作がきちんと上映できなかったのはそこもあるだろうし。配信が一番リーチしやすくなる現状を見ると妥当と言わざるを得ない。
だからこそ、映画館には商売上手の喜ばせ上手になってもらわないといけない。エンタメもアートも私にとって区分を感じないし、シネコンとミニシアターの区分も私にはあまり意味を感じない。大事なのは客商売であって、人の喜怒哀楽の全てを映画館で感じさせること。しかもなるべく大きなスクリーンで。なぜなら大きければ大きいほど大勢の人が鑑賞しやすいからだ。単純明快だけど、実践は単純ではない。というより継続、維持が死ぬほど難しいのだ。私自身の映画をスクリーンで見た時も、やはり感動はあった。少ないお客さんに見られて何のリアクションも無い時は死ぬかと思った。それでも、映画を想定して作られたのなら映画館で私は見たいのだ。
丁か半かはわからないが、リスクを伴って挑戦したいし、そこで得る快楽は私の想像を超えているだろうし、超えてほしいものだ。
まあ、私がその想像を超えさせてやるのだが。
自意識過剰と罵られそうなのであまり好んで言わないだけで、私が何かに関わる、挑戦している時は安定や平穏は優先順位において一位ではない。常に頭の中に自分の想像を超えた感興·感動を味わいたくてやっているからだ。
平凡は私には合わない。
ただそれだけだ。
末路も末代も覚悟の上でやっている。
いつからか、怖いものがなくなった。失うものもなくなった。(ウソ。ホントはあるがあった方がより楽しいのだ)
映画館で映画を鑑賞する至福は確実にあるし、私にはたまらなく気持ちいい。と、同時にIMAXだろうが映画作家だろうが、受賞者だろうが無冠だろうが等しく観客の視線に晒されている以上、少ない人数で見る映画は内容の面白さの如何に関わらず、やはり、自己満足·自己陶酔以上の快楽はない。だが、大勢の全く趣味嗜好も年齢層も性別も違う人々と見る映画はこれも内容の如何に関わらず、不思議な高揚感を感じる。私は映画館で自分以外の人と見るあの雰囲気が好きなのだと最近の話題作を大勢の観客と見て改めて思った。一人でBlu-rayやDVD、サブスクリプションの配信を見ても満たされない感興が確かに映画館にはあるのだ。