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その一方で、マイケルジャクソンの父親がめちゃくちゃ自分のことしか考えていない虐待者であることを強調して描かれていたので、この人早くどこか行かないかなと見る度に思った
家族という言葉の嫌な部分(嫌な使い方)をこれでもかという程見せられて、虐待を受けて育った身には憎悪の気持ちがきっと虐待を受けて育っていない人の何倍もの感度で心に溜まっていったんだと思う
観終わって調べたところ、どうやらマイケルジャクソンよりも長生きしたそうで、ここにも憎悪の念が溜まった
こういう家族は子どもの健全な成長の面で見ると父親だけでなく母親にも問題があって……と長々と語りたくなってしまうのでここは割愛
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映画「Michael/マイケル」を観てきた
実はマイケルジャクソンのことはよく知らなくて、「ネバーランドとかいう所に子どもを連れ込んで児童性虐待をした、不自然に肌を白く塗ったダンスの天才の人」というイメージしかなかったので、知らないことだらけで興味深かったし、曲が大音量かつ良い音響で聴けて非常によかった
マイケルジャクソンの病気も知らなかったし、調べたら児童性虐待も事実無根だったことがわかったし、如何に自分がメディアに影響されていたかがわかった
関心がないからといって、実在する人間を勝手にラベリングしてはいけないね
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amzn.asia/d/0g0DJqOZ
というのとは別に、東洋哲学は科学やマイノリティとは相性があまりよくないなとも感じた。
「言葉を捨てろ」というのが東洋哲学であるが、言葉は社会で権力があるものが定義し、定義されていないものは「ない」ものとして扱われている。
「ない」けれど「いる」マイノリティの生きづらさを看過する訳にはいかない。
科学は全てを定義して突き詰めていく学問であり、現代社会の中心である。
ところで、歴史の授業がとにかく苦手だった(授業開始するとなぜか酷く眠気に襲われる。今考えると脳が拒否していたのかもしれない)ので、空海も親鸞も日本人だということがこの本で知れてよかった。
ありがとう、本。
人間はいくら時代を重ねても同じことを繰り返すから。そういう風に出来上がってしまっているから。哲学する人は人類のごく一部で、多くの人は考えず「そういう風」に抗わず生きているから。
でも、東洋哲学では「生きやすくするには」を突き詰めているらしい。
つまり仏教は生きやすくなるためのものでもあるらしい。
ちょうど真言宗のお寺さんとご縁ができて5年ほどになるので、このご縁に感謝しつつ、少し学んでみたいと思った。
「自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学」しんめいP/著 鎌田東二/監修
読み終わった。
これを読むまで仏教とは宗教だと思っていて、宗教とは科学や学問が発達する前の「法」であり「道徳」であり、義務教育としての役割を果たし、自治体のように趣味が異なっていても繋がれるコミュニティとして機能していると考えていたのだけれど、どうも哲学でもあるらしいということが知れた。
哲学とは「なぜ生きるのか」を突き詰めて、しかしいまだ結論の出ていない学問である。
なぜなら
公式から配布されてる3Dプリンター用のデータのグレースが欲しい!欲しい!欲しい!
ゼロ・グラビティは映画館で観ないと面白くない(ストーリーがないけど映像がよかった)けど、プロジェクト・ヘイル・メアリーは映画館で観なくても面白いと思う(ストーリーも映像もいいけどけど映画館ならではのものはそんなになかった)(ジャンプスケアが好きなら映画館にぜひ行ってください)
あと、ライブシーンの熱狂してる人の気持ちは未だよく分からないなと毎回何かしらのライブシーンで熱狂している人を見る度に思う
出てきただけで失神するほど興奮することなんて、わたしにとっては昆虫や父親と丸腰で対峙する時くらいしかないんじゃないかな
流石に失神はしないと思うけど動悸はする
マイケルジャクソンの天才具合もわかったし、知らない曲も知ってる曲もちゃんと聴けてよかった
ミュージカルなどの音楽系は劇場で見るに限るという自分の思想にあったよい映画だった