+ new component
Loading...
paulaとjaquesのmorelenbaum夫妻は
Banda Novaのメンバーだった。
2001年ごろ坂本と彼らが
jobimを偲ぶアルバムを作ったとき、正直はてなと感じてしまったが、後にarto linseyのアルバムでcaetano velosoの曲を弾く坂本の演奏がすごく良かった。
「優秀な人をどうするかではなくて、落ちこぼれた人たちをどう処遇するかで、社会の本質は問われると思うんです」ガツンと来た。
c.org/S7rTMXD9xt
声を上げるって大事。
坂本龍一も壮絶な闘病を経て
亡くなられた。悼む声の中には
jobimファミリーの言葉があった。
改めてこのバージョンを聴いて
paulaとjacquesと坂本が
tom jobimの曲を奏でていることに
頭の中で様々な場面や人の面影が
湧き上がるのが止まらない。
武器輸出、武器開発、武器製造を最大の成長産業にする、ということはつまり全産業がそこに紐付きになるということで、自分が働く会社の取引先になるということで、異を唱えると職を失うようになるわけで、この構造もまさに80年前へ逆戻り。国策が国民の戦争反対の自己決定権も奪う。でもこれからは高市自民にコールするだけでなく、雇い主に対してもシュプレヒコールする覚悟を決めなければならないのか。
たとえば、武器とは関連性が無さそうな、お菓子メーカーで働いていたとしても、大口の注文を武器産業からバンバン受けるようになれば、お得意様になり、アメリカやイスラエルがこどもをこ○すために、その武器屋に支払った金が、お菓子屋で働く人々の給料になってしまうということ…。
jobimは67歳で心臓を患って亡くなったが、2005年に私は母を同じ病で亡くした。彼女に何もできずに、ただ病が進み亡くなるのを側で見続けて、憔悴し切って、しばらくは音楽すら何も聴きたくなくなった。あの精神的な危機を助けてくれたのは、ある時何気なく店内に流れていたjobimのtwo kitesという
割と後年に書かれた作品だった。
jobimが家族やそのパートナーたちと作ったBanda Novaというすばらしいグループの存在を知った。
坂本氏はわたしが子供時分通った南区文化センターのこけら落としのコンサートをした人らしい。
そして太宰府市に引っ越したら市民図書館がCDのレンタルを始めていて、
getz/gilbertoというアルバムを聴いた瞬間、あまりの曲の魔力にうわあっとなってボサノヴァ好きになった。私はstan getzより二人のgilbertoよりその時はjobimの虜になってしまった。
「私は追放よりも統合を訴えたいんです。例えば日本生まれの2世ならば、日本文化の中で育っています。言葉を選ばずに思うことを言うと、彼らがたとえ罪を犯したとしても、それは日本社会の中で生じたことで、日本社会が受け止めるべきだと思うんです」
岡村釦
岡村釦
岡村釦
岡村釦
岡村釦
岡村釦
youtu.be/ONmXQj_bY7s
坂本龍一氏に心酔したことはないし、YMOのファンでもなく、東京でCDショップのアルバイトをしていた96年ごろ、キャップを被った男性が売り場に現れ、私にボサノヴァのコーナーはどこですか?と声をかけた。案内してカウンターに戻ると同僚が隣でこっそり、坂本龍一だよ、と言った。
岡村釦
岡村釦